こっそり独り言

カイロプラクティック唯物論3

科学はどんなに理論的概念で言及されていても、決して経験から遊離する事はない。理論と経験のバランスが取れているのである。様々な経験から仮説を構築し、それを実験等で検証する。これをしっかりと記録し、幾度も検証を重ねる。その結果新しく正しい考えが生まれる。そして新しく生まれた考えから、また新たな仮説が構築される。見事に経験と理論を融合しているのだ。経験だけでは普遍性や再現性に欠け、理論だけでは現実性に欠けるのである。

量子の研究もそれと同様に、いくつかの仮説を検証してきた結果現在に至る。金箔に電子を打ち込んで、原子構造を解明したり、加速器で陽子や電子をぶつけたりして得られた結果から「〜〜でなければ説明出来ない」や「〜〜であれば現象が説明出来る」から導き出されたものだ。そしてその理論を応用し、現在の生活に役立てられている。
科学的理論の中にはエーテル説のように後で間違いだったものもあるが、一定期間検証に耐えた科学理論は信用し、利用する価値がある。この事からも、オカルトや超能力等と、量子論との信頼性の差は明らかだ。

目に見る事の出来ない小さな粒子である陽子と中性子は非常に大きな力で結合している。この力を核力と言う。核を分離させる事により、この非常に大きな力をエネルギーとして利用しているのが、原子力発電や原子爆弾である。何の変哲も無い物質にこのような莫大なエネルギーがあるのだ。これを天才は
E=mc2
と説明した。Eはエネルギー、mは質量、cは光速である。光速は一定であるので、質量の増加はエネルギーの増加を意味する。
物質を構成する為の核力、原子核と電子を結びつける電磁気力、陽子と電子とニュートリノとで中性子を構成する際の力、そして重力。これら4つの力のバランスによって物質と宇宙を構成されている。そしてユニバーサルインテリジェンスとはこの4つの力とそのバランス状態を表現した言葉だと言える。

2005/11/15(Tue) 12:10:23  [一般] | 固定リンク | トラックバック:0 | レス:2424

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同じアジャストで何故差が出るのか?
先日ある先生からメールを頂いた。S先生としよう。
S先生の患者さんを紹介してもらった。
通常行っている施術をした。
1回だけの施術だったので、しばらくその事は忘れていた。

するとS先生からメールで
「 施術後、痛い所は全然無くなった。と言っていました。体を触るとその言葉通りに、
痛みの出ないような、きれいな骨格、筋肉で驚きました。」
と書かれていて、正直とまどった。

通常どおり3,4箇所のアジャスト。それ以外特筆する所は無い。
S先生との技術的な差などもそれほど無いと思う。

完全に前振りが功を奏した例。
つまりS先生が私を紹介した時から施術は始まっていたのだ。
おそらく
「aneero先生なら腕は確かだ」

「aneero先生の腕は保障する」
などの、前振りが患者さんの心にある種のプラシボ発令準備十分な状態を作ってしまっていたのだろう。
そこで私がそのスイッチを入れた。
それだけの事。しかしそれは無敵な施術だ。どんな施術より効果がある。

この前段階を自分で準備出来る人が、達人と言われる人だ。

「プラシボで良いのか?」
と言われそうだが、逆に
「プラシボに勝てるのか?」
と問いたい。

と言いながらも、それなりに理にかなった施術を心がけている。

2005/08/26(Fri) 17:39:38  [一般] | 固定リンク | トラックバック:0 | レス:19917

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となると、カイロ施術の経験とは、対処的な施術方法を効率良く行えるようになる為、の修行であるのだろうか?
「単に攻撃を避けて相手を打つ」
と言う、出たとこ勝負の対処的な戦法と同じと言う事なのだろうか?

カイロテクニックの多様性と言うものを考えてみた。何故こんなにもいろいろなテクニックがあるのだろうか?
武道には理想として
「一撃必殺」
がある。一発で相手を殺すと言うのが、現実の戦いの中から生まれた武術にとって当然の話である。しかし、実際はどうか。理想に対して現実があるように、現実には相手も必死な訳で、ナカナカ一発ではなし得ないものである。
そこで変化技が出てきた。
振りまわすパンチ→直線最短を通るパンチ→アッパー→ワン・ツー→コンビネーション→コンビネーション+投げ→コンビネーション+投げ+締め・・・・・

発生的にはこれとは別に、技は時代背景と言う環境の変化に適応した。鎧を着た状態での太刀筋は斜めに入ったり、咽元をついたりする。これが鎧無しの時代になると、振り上げ方も下ろし方も変る。更には室内でのやり取りでは、よりコンパクトな振り方が要求される。

つまりカイロも、「一発で治す」のが理想であり、目標である。ところがなかなか、理想通りには行かないのが現実だ。そこで様々な相手に対処するべくして様々なテクニックが生まれたのだろう。これは「相手に対処すべくして生まれた」と言う事だ。
また、時代背景的にも、訴訟等の問題もあり、よりローリスクな施術方法を生み出す必要があったと言うのもある。

これとは別に武術の達人と言い伝えられる者が、奥義として残した言葉で
「無心に剣を振り上げ、振り下ろすのみ」
と言うのもある。つまりどんな相手であろうが、
「無心で一刀すれば相手は伏している」
と言う話だ。これは
「相手に対処するのではなく、自己の信念を施すのみ」
と言う考えに近い。

前者は対相手の経験により、症状を取る事を重視し、様々なテクニックを駆使し対処する方法を選択するミキサー系の考えであり、後者は症状に対処するのではなく、イネイト治癒を信じ、生身を相手しなくても、一心不乱卵相手にターゴリコイルの腕を磨いているストレート系の姿を想像させる。


2005/08/09(Tue) 08:39:52  [一般] | 固定リンク | トラックバック:0 | レス:21017

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