ありがちなパターンを会話形式で説明してみたいと思います。最近小難しい内容なのに、この会話形式って手法を使って簡単に説明してくれる本に出会い、非常に感動したもので・・・。
*このストーリーはあくまでフィクションです。当方の家庭事情とはあまり関係ありません。
■ふと気がつくと○○になってて・・・
私の名前はプラ吉。カイロプラクター。妻一人子一人。妻の名前はカイ子。鍼灸師。
ある日妻がこんな事を聞いてきた。
カイ子:
ある日昼寝をしていて、ふと足元を見ると左右の足先が違う方向を向いていたんだ。右足は外側を向いていて、左足は内側を向いていた。逆に右足を内側に向けようとしても、左足ほど内側には向かない。左足を外側に向けようとしても同様。
何んで?
身体が捻れているの?
プラ吉:
(ひ、ひるねですか・・・)
骨盤、股関節、腰に歪みがある可能性があるね。
カイ子:
じゃあ、大変じゃない。身体が歪んでいるんでしょ。
プラ吉:
ん~。身体が歪んでいるのは見た通りなんだけど、大変かどうかはまた別だね。
カイ子:
何それ。何かスッキリしない言い方だね。カイロって身体の歪みが色々な病気の根源って考えるんでしょ。じゃあ、アタシ歪んでいるんだから大変じゃない。違う?
書き忘れたけど、我が家は完全なるカカア天下である。
プラ吉:
(オイ、オイ・・・そんなんでつっかかるなよ)
いや、、そうなんだけど、何て言うのかな。許容性って言うのかな。支障がでなければ、問題無いって事かな。
カイ子:
そんな事言って。私を施術するの面倒なだけでしょ。いっつもゴロゴロしてるクセにd#g4$&%・・・
プラ吉:
(何かやばい方向に行ってるな)
え~とサ。例えば・・・・
そうだ!自転車のハンドル。そうそう。ハンドルが少し左に向いていたとするよね。大抵の人は少し左向いた位じゃあ問題無く、運転出来るよね。でも大きく左向いちゃうと、非常に運転し辛い。その不快に感じ始める角度って言うのも、一概に何度って言う事は出来ないんだ。まあ、人によって差があるって感じかな。
カイ子は今まで自分の歪みに支障を抱いていなかったのだから、「大変ではない歪みの程度」って事だよ。
カイ子:
なるほどね。そういえばこの前自転車で転んだんだ。その後そのまま自転車でウチまで帰ってきたんだけど、ウチに着いてからハンドルが曲がっている事に気がついたよ。
プラ吉:
そう。そう。だから歪みがあっても、気がつかない・・・つまり支障が出てないんだったら大丈夫って事。
<ここまでのまとめ>
日常の生活の中で、自分の身体の非対称性に気がつく事があります。カイ子さんのように足先の向きだったり、写真撮影の時に首の曲がりを修正されたり。これらの多くは習慣の中で身に着いてしまった「クセ」と言えるでしょう。そして自分では気がつかなくても、ほとんどの人がその人なりの歪みを持っています。歪みの多くは座り方が原因だったり、職業が原因だったり、趣味やスポーツが原因だったりします。それだけではなく、右利きや左利きと言う片側酷使の習慣も身体を歪める原因となったりします。逆に言えば歪みの無い人は滅多にいないと言えます。
意外な事に、歪みを持った人の多くは、何の支障もなく日常生活を営めます。何故なら日常生活が歪みを作ったからです。日常生活に合うように身体が歪んだのですから、支障が出るはずがありません。環境に適応するようにに対応、変化したと言っても良いでしょう。ですからほとんどの人が、自分には歪みが無いと思っています。でもそれで良いのです。何の支障も無く生活出来るのであれば、下手にイジル必要はありません。何故なら、あなたは歪みを無理なく補正出来るだけの柔軟性と体力を持ち合わせているからです。
しかしながら・・・
度が過ぎれば何とやら。歪みが酷くなると支障が出てきます。それは後ほど説明致します。
■気になる
カイ子:
でも歪みがあるって気がついたらたら、気になるじゃない。
プラ吉:
だよね。実はそこが難しいとこなんだよな~。でも気にしなけりゃいいじゃない。
カイ子:
ちょっと!からかってんの!
プラ吉:
(やべ!)
ち、違うよ。カイ子はこれまで歪みがあったにも関わらず、何の支障も無く生活出来た訳でしょ。それなら気にしなければ、これまでと同じ生活を営めるんじゃないかな。
カイ子:
それはそうかもしれないけど、やっぱり左右不均等と言うのを目の当たりにしたら、気になるのが普通じゃない。
プラ吉:
実はそこが重要な点なんだ。ある日歪みに気がついた。気にしなけりゃいいのだけど、気になってしまう。
「痛み」や「シビレ」、「コリ感」って言うのは主観だよね。他人には解らないし、人種間の差や宗教観、育った環境、その時の状況により個人差が大きい。例えば、タンスの角に同じような強さで小趾をぶつけたとするよね。その辺りを鍛えている空手家だったら(育った環境)、僕と同じように痛がらないだろうし、火事で子供抱えて逃げなきゃならない時なんかは(ある状況)、痛みなんか感じないかもしれない。もっと言うなら、運動やケンカの後で気がついたらケガしていた。って事あるでしょ。
でね。歪みってのは客観的なものではあるんだけど、それを気にするかしないかは「主観」の問題なんだよね。つまり「痛い」や「しびれてる」って意識する状態と同じように、「歪んでる」って“意識”してしまっているって事。これって支障があるって言えるかもしれないんだ。
カイ子:
ちょっと待ってよ。ケガも意識しなければ大丈夫って事にはならないでしょ。確かに意識が他の事に集中している時は、痛みの感覚を抑制したりするけど、注意が解けたらケガに気がつくし、客観的にも炎症していれば発赤だの表面温度の上昇なんかもある訳じゃない。意識しなけりゃ炎症も出血もしないって言うの。
プラ吉:
いや、生理学的で客観的な変化は起こるだろうけど、感覚的なものってのは意識するか、しないかの問題だって事。
カイ子:
つまり脳の中での問題って事ね。ケガに気がついたとたんに痛みが強くなったりする事もあるし、軽い切りキズなんかは、切った事にも気がつかないで、気がついたらカサブタになっていたって事もあるからね。でも意識上に登ってきた痛みってのは重要だよね。身体からの危険サインなんだから。
プラ吉:
もちろん。「痛い」って感覚は重要だよね。現代医学じゃこのサインを麻酔使ってウヤムヤにしちゃうけど。
カイ子:
でも四肢切断するような手術する場合、事前に薬で痛みを抑制したほうが「幻肢痛」の出現率が低下するらしいから、一概には言えないんじゃない。
プラ吉:
むむ。勉強してるね。そうらしいね。幻肢痛の問題って難しくて、それこそ無い腕に鍼刺して痛みが軽減する事もあるみたいだね。結局腕を失くしても、脳の腕の感覚野が無くなるわけじゃないからね。痛みの感覚は重要なんだけど、強烈だったり常に意識させられたりするような痛みだったりすると、痛みの感覚が腕の感覚野と関連して、記憶に残ってしまうって事なんだろうね。
カイ子:
歪みの話に戻すけど、これも「意識上に登ってきた」って事で、「意識された歪み」って重要じゃない?気がつくまでに歪んでいるんだから。それに意識しなければ、客観的な歪みが直るって訳でもないし。
プラ吉
そこなんだよね。でも意識を否定する訳じゃないんだけど、主観ってのはあいまいだと思うんだ。酷いケガなのに「平気」って思ったり、逆にほっといて治るようなケガでも、「大変!」って大袈裟に騒いだり。同じように生活やスポーツなんかに支障をきたさない程度の歪みを、「大変!早く施術して」って言ってみたり。
カイ子:
ちょっと!それってどういう意味よ!悪かったわね!
プラ吉:
(あっ!やばい!)
ああっ、そういう意味じゃなくて、日常生活で支障が無い歪みなら、軽いスリキズみたいなものと一緒じゃないかなって事。生活の中でそれに適応する為に変化したものって、歪み以外にもあるでしょ。職人さんのタコとか。そう。そう。カイ子でいえば指圧タコとか。
カイ子:
ん~?なんか誤魔化されたような気もする。確かに指圧しやすいように指の関節が変な角度まで曲がるようになったけど。まあ「痛み」もないし、気にしてないわね。
プラ吉:
それと一緒だよ。気にしない。気にしない。
(ふ~、施術を免れた)
<ここまでのまとめ>
意識すれば実在しないものでさえ“在る”と思えるのでしょうし、意識しなければ存在するものでも“無い”と思えるのでしょう。その意味では無害なものをあえて“在る”としなくても良いのではないかと思います。多少歪んでいても現在無害ならカイロを受ける必要はありません。
しかしながら問題なのは、将来的に“有害”になる可能性がある歪みです。では将来的に“有害”になる歪みは、どのように見つければ良いのでしょうか。
■無害な歪み?有害な歪み?
しばらく平穏な日々が続いた。外吹く風も、日を追うごとに南からの暖かい風にかわりつつあった。しかしながら、そんな平和な日ばかりがいつまでも続くはずが無いのは、歴史を見れば明らかである。プラ吉の長閑な休日も、カイ子の一言がきっかけで戦場と変容するのであった。
カイ子:
パパさあ(プラ吉を“パパ”と呼ぶ)。この前の話だけど、カイロって脊柱の歪みを矯正する事で、疾患や病気からの回復、健康を維持させるんだよね。でも歪みにも有害、無害があり、無害な歪みを下手にイジラないほうが良いって言ってたよね。
プラ吉:
まあ、そんな感じだね。
カイ子:
この前の話で私の歪みは問題無いって言ってたよね。
プラ吉:
え・・ええ。
カイ子:
2日前から腰が痛いんだけど!どーなってんのよ!大丈夫って言ったじゃん!
プラ吉:
(え~腰痛でたのはオレの責任かよ~)
ちょっ、ちょっと待ってよ。脊柱の歪みとは関連性無い腰痛かもしれないじゃん。何でもカンでも腰痛イコール脊柱、骨盤って訳じゃ無いだろう。。
カイ子:
何言ってんのよ。この前診てないくせに!逆に歪みと腰痛が関係しているかもしれいないでしょ!
プラ吉:
あ、いや、オレ位になるとだな、なんと言うか見ただけである程度分かるって言うか・・・
で、左右どっちが主に痛いの?
カイ子:
右。
プラ吉:
え?右・・・?そっか、、右か。。
(やべえ。関係ありそうだぞこりゃ)
で、もしかして、右に曲げると痛い?
カイ子:
そうね。痛い。よく分かるわね。
プラ吉:
(ますますやばいな)
そ、そう、じゃあ反るとどう?
カイ子:
やっぱり痛い。
プラ吉:
・・・・なんか関係ありそうだね。。。
カイ子:
ほら!言ったじゃない!やっぱりあの時に施術しておけばよかったんじゃない!
プラ吉:
あわわわ、すまん。
カイ子:
でも何でこれだけで、背骨の歪みと関係あるって言えるの?
プラ吉:
ハイ。説明致します。。
まず筋に微小な損傷等の問題があるなら、左に倒した時に伸張性の痛みが出るよね。逆に右に倒した時には、動作初めでは筋が収縮するから痛みが出る場合もあるけど、倒しきった時には大抵弛緩しているから、筋そのものにはストレスがかからない状態になっている。だから痛みはそんなに出ない。右に倒して右に痛みが出る場合、大抵は関節面にストレスがかかって出る場合が多いんだ。
でね。
カイ子の腰椎は左凸の側弯をしているんだ。つまり腰部右側は湾曲の内側になる。これは見れば解るんだ。更には骨盤が右に開いたような状態になっている。冒頭に
「右足は外側を向いていて、左足は内側を向いていた。逆に右足を内側に向けようとしても、左足ほど内側には向かない。左足を外側に向けようとしても同様」
って言ってたろう。これがその状態を示しているんだ。
腰椎が正常な前弯を維持しながら左凸の側弯をした場合、腰椎は通常左回旋(棘突起は右へ回旋)するんだ。これに対して骨盤全体が右回旋・・・
カイ子:
骨盤と腰椎で逆に回旋しているって訳ね。
プラ吉:
そう。そしてこの場合、腰椎椎間関節の構造上、回旋の移行部には、右側の椎間関節に圧迫ストレスがかかり痛みが出やすいんだ。
カイ子:
私の場合、歪みと痛みの出やすい箇所が一致しているって事ね。
プラ吉:
そう。今回の痛みは歪みと関係している可能性が高いって事になる。
カイ子:
じゃあこの前の時に「右に痛みが出やすい」って解っていたんじゃない。
プラ吉:
でもこの前は今日のように動いても痛くなかったろう?つまりこの前とは同じ歪みでも、その内容が違ったのサ。
カイ子:
どういう事よ。
プラ吉:
可動性だと思うんだな。さっき説明した歪みは、あくまでも静的な状態を話していたよね。でも同じ歪みでも、関節可動性の有無で大きく違うんだ歪みがあったとしても、それぞれの関節に可動性があり、関節に常にストレスがかかっているような状態でなければ、そんな簡単に痛くはならない。でも歪みのまま可動性が減少したら・・・、常にストレスがかかってしまう。
カイ子:
じゃあこの前は可動性があって、今日は可動性が無くなっているって事?
プラ吉:
たぶん。周辺腰椎椎間関節、仙腸関節のどこかで可動性が減少している可能性があるって思うな。この前から今日まで何か持続姿勢を取った覚えはある?
カイ子:
ネットショッピングに集中してたなあ。気がついたら3時間ほど経ってた。そういえばその日の夜から痛かったかも。
プラ吉:
(また何をお買い上げなさったのでしょうか・・・)
そ、それじゃない。姿勢悪いからな。イスに座っている時。右足上に組んで。
カイ子:
悪かったわね!パパだって人の事言えないでしょう!カイロやっているクセに姿勢悪いじゃない!それよりも早く施術してよ!
プラ吉:
アッ、ハイ、ただいま!
■サブラクセーションって何んぞや?
プラ吉:
じゃあ、腰の動きを確認して行くよ。前後屈、左右側屈、左右回旋、それとゆっくり腰回ししてみよう。各ポジションで腰椎の状態みて行くね。
カイ子:
よろしく。
プラ吉:
やっぱり腰椎左凸の湾曲があってね、各ポジションでも腰椎左凸の湾曲が邪魔して対象的な動きしてないね。自覚しやすいのは側屈なんだけど、右側屈のほうが痛みはあっても、稼動範囲大きいでしょ。
カイ子:
良く解んない。そんな気もするけど、右側屈は痛くて、左側屈は痛くないわね。
プラ吉:
右椎間関節が衝突しやすく、椎間孔が狭小しやすくなっているんだ。
カイ子:
腰椎全体が左凸の湾曲で固まっちゃってるって事?
プラ吉:
ん~~、右に側屈させる筋群が短縮しているって感じかな。
カイ子:
じゃあこの腰椎全体の右側屈を矯正して、右椎間関節がぶつからないようにして、かつ椎間孔を開けば良いって事ね。話が早いじゃない。早くやってよ。
プラ吉:
いやいや、結果だけを対処的に施術するのではなく、原因を探すのがカイロプラクティックなんだ。つまりこの場合、何故左凸の腰椎になってしまったのかを考えないと。
カイ子:
そりゃそうよね。対処療法じゃ再発繰り返すわよね。炎症してます、じゃあ抗炎症剤って感じと同じで、その原因を改善していないもんね。
プラ吉:
炎症抑える事ができれば、症状そのものは治まるけどね。普通はそれで治ったとしてしまうよね。でも数日後、数ヶ月後、または数年後に同じような箇所が痛くなったりする可能性を捨てきれない。で、カイロではその“原因だろう”ってヤツを「サブラクセーション」って呼んでいる。
カイ子:
知っている。で、カイロではその「サブラクセーション」を椎骨の変位に求めるんでしょ。ところで私のサブラクセーションはどこ?そして何故そこを“原因”として特定する事が出来るの?
プラ吉:
まいったな。それは難しい質問だ。まずサブラクセーションの定義から考えないといけないよね。各テクニックで微妙に考え方が違うのだけど、オレは
「隣接関節構造の正常な動力学的、解剖学的、生理学的な関係の変調である。」(1972年ヒューストン会議)
を支持している。
カイ子:
大前提であるサブラクセーションに対して考え方が統一されていないって言うのも、何かいい加減な話ね。
プラ吉:
だよね。固定概念に囚われていないって言えば聞こえが良いのだけど、統一性に欠ける。だから施術者によって同じ患者さんでもサブラクセーションが違ったりするんだ。これは業界内外を問わず問題だと思う。サブラクセーションとして疑わしい箇所が数箇所あり、そのうちの一つを選択する場合、見立てに差が生じるのは解るけど、全く違う概念を持ち出して、皮膚の滑り具合だの、視、聴、嗅覚等の刺激入力過不足や、心理的なトラウマ等をサブラクセーションとしてしまうのはあまりにもかけ離れていると思うな。これらを原因とする考えを否定する訳じゃないけど、それなら他療法として区別するべきだと思う。
カイ子:
そんな何もかもサブラクセーションってしちゃうのは強引よね。何でもカイロになっちゃうじゃない。
プラ吉:
その逆で「全て症状の根源はこの椎骨にある」って特定しているテクニックもあるんだ。上位頚椎派の考えがその典型なんだけど。頚椎1、2番以外は施術対象としない。確かにそこがサブラクセーションかな?って症例も沢山あるけど、そこだけってのは強引だと思う。
カイ子:
なんかカイロってムチャクチャね。そんな紆余曲折の中からパパは
「隣接関節構造の正常な動力学的、解剖学的、生理学的な関係の変調である。」
を選択したんだ。
でもこれってどーゆー意味?
続く・・・